ミュージカル劇団『夢桜』団員ブログ&稽古内容の報告
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努力はしているつもりだ。何かの間違いかもしれないが。
雰囲気で演じるな、と言われた。そして芝居は役者の心を使ってするものだ、と言われた。自分の心を動かすようにすると、雰囲気を壊すな、と言われた。 きっと、自分の心だけじゃわからないものがあるのだろう。そう思い、その役の心情がわかりたくて、台本を読み込んだ。台詞を考察した。ただ何気なく読んだだけでは気付かない、新しいことを見つけ出したつもりだった。そして、解釈が違う、と、その役のことをわかっていない、と言われた。 努力はしているつもりだ。でも、全力で間違った方向に進んでいるのではないか。 必死になって、自分で自分の首を絞めているのではないか。 きっと、努力なんてしない方が楽なのだろう。苦しくなんてないのだろう。でも、私にはそれが許せない。苦しかろうが悲しかろうが、たとえどうあっても、舞台が、芝居が、歌が、ダンスが、ミュージカルが好きなのだから。たとえどんなに、私が嫌われていようと、好きなものは好きなのだ。苦しくても、どこか嬉しいのだ。何かが楽しいのだ。きっと。 それにしても、私はなんのために芝居をしているのだろうか。もう5年、やっと5年。でも、全然成長できていないように思える。 私は私なりに、劇団のために、いい舞台をつくるために、努力しているつもりだ。でも、それは間違いではないだろうか。それがみんなの迷惑になっているのではないか。私の存在が劇団にとっていい働きをしているとは、最近どうも思えないのだ。 私はこの劇団に不要な人間、ともすると、邪魔な人間ではないだろうか。 ……きっと疲れているのだろう。もう寝なければ。
今日の稽古には、代役として参加しました。一応アンダースタディということになっているので、普段から稽古にはできるだけ参加して本役の方に出ているダメ出しは聞いているつもりです。台本の読み込み方などもできるだけ同じ方向に持っていけるようにと考えています。何かあった時は代わりに舞台に立てるようにと。それでも、個性としてそれぞれの違いはあるようですが。
代役として参加した今日の稽古を終えると、ほんの少し、なんとなく、淋しい気分になってしまいました。きっと代役として稽古に参加することは、のちの自分にとって役立つことなのだと思います。それでも、「代役なんだ」という感じが自分の中に出来てしまうようで、それがなんとなく気持ち悪いのです。 代役とはいえ、舞台の上に立っているときは必死で、全然そういった気持ちにはなりません。しかし本役の方が来られて交代すると、なんだか、少しだけ空しいのです。「あぁ、そこに私の居場所はないんだなぁ」と思うのです。そして、「私は何をやっているんだろう」という気分になるのです。もちろん稽古をしているのですが。普段の稽古で代役を立てる場合は、代役の人にも何かの役が付いているときが多いです。今の私にはそれがないからそう思ってしまうのでしょうか。本質的に存在していないというか…。 そして今は舞台に立てる人がうらやましくてしようがないのです。 こんなことを書いてどうするんだ、と言われても、確かにどうにかなることではないのですが、こう思ってる人間もいるんだぞーということで、ただプレッシャーをかけてみたいのかもしれませんね。 最後に、こんなことを考えてしまう余裕ができてしまうくらい、必死になりきれていない自分への戒めをこめて。お目汚し、失礼しました。
今日、ある人が言ってました・・・・。
「本番まであと9日だょ!!!!!!!」 自分の演技・歌・ダンス・・・・・ 大丈夫なのでしょうか・・・??? セリフをどんな風に言えばいいのか分からなィ・・・。 ソロをどんな風に歌えばいいのか分からなィ・・・。 台本の読み込み方が下手なのでしょうか・・・??? 体が思ってるコトについて来てくれない・・・・・。 体調がどんどん悪化してる気がする・・・・。 でも、休んでたって何もはじまらない。 倒れるまでやってみる!!!限界まで・・・・。 |
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