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ミュージカル劇団『夢桜』団員ブログ&稽古内容の報告 
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 まあ、この集団がどういった方向に向かっていくのかということです。集団の環境を考えると、厳格に、高い水準の作品を上演できればいい、というのは少し違う気がします。とりあえずは、1人1人が自分の表現したいものを持って、それをしっかりと表現できれば良いのかなぁ。
 多分、自分自身の頭で物事を考えるという姿勢が必要です。人が言ったからといって、それが本当だとは限りません。いろんな方向から、物事を見つめられればと思います。そのためには、僕自身も動かないといけないです。動かなければ、違う視点に立って、見ることはできません。
 舞台は、自由です。特に、この集団では、独自の自由さがあると思います。きっと、いろんなものを求めて、人が集まってくる。個人の主張を生かしながら、どれだけ集団を生かせるのか。みんなで頑張りたいです。
 ただ一応、この集団の活動には、明確な方針があります。「ふるさとを心から愛し、“ミュージカル”を通して、多くの人に“古里”の良さを伝え、誇りの持てる古里作りに繋げていきます」です。5月28日の チャレンジデー2008 など、参加はさておき、興味を持っていたいと思います。
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 舞台には魔物がいる、と言います。また、舞台は なま であるとも言われます。ということは、魔物もまた〈なまもの〉なんですね。僕は「舞台には魔物がいます。本番は何が起こるか分からないので、注意してください。ただ、今まで一生懸命やってきていたら、何が起こっても大丈夫だと思います。」と言ったことがあります。でも、その瞬間にしか出会えない魔物だったら、仲良くしてあげる方が良いのかもしれません。
 舞台の魅力は、その瞬間しか存在していない、というところにありますが、みんなで作り上げている、というところにも1つの魅力があります。演技をしているのは、自分1人ではないということです。これは、大道具や小道具を作ってくれた人がいる、ということだけを言っているわけではありません。自分が演技をしている瞬間、照明も同じように、演じていたりするということです。多分、音響などもそうだと思います。
 僕は今まで、客席との関係しか考えていませんでした。僕の演技は、照明や音響にも影響を与えているんです。そして逆に、影響を与えられてもいます。考えてみれば、照明がないと、僕は観客の目に映らないですね。
 2004年8月15日に、さくらホールで『サウンド・オブ・ミュージック ハイライト公演』が上演されています。この作品は数か所、日本語で話されていますが、それ以外の場面は全て英語です。僕には、とてもできない。
 この作品では1人の人物に複数の人が割り当てられています。その分、負担は軽くなったかもしれませんが、僕には無理ですね。英語は、平均点を取った覚えがありません。ただ歌になると、英語への抵抗は薄れる気がします。作品を見て、いっしょに歌ってみたかったなぁと思いました。
 『サウンド・オブ・ミュージック』には、ある意味で、僕たちの活動と共通するところがあります。それは事実にもとづいて作品が作られているということです。ただし、それが真実を描いているとは限りません。
 僕は、実在した人物の役を演じた経験があります。もし、その人物に僕が演じている姿を見られたら、怒られてしまうかもしれないです。もちろん、僕は僕なりにその人物を演じてみたいので、ちょっぴり違うのは赦してもらいたいと思っています。ただ、本物を知ることは忘れないようにしたいです。そして、その存在を広く響かせていければ良いなと思います。
 ぼくは、実際にあった出来事を題材とした作品に出演したことがあります。その作品には、息子が母親のことを思い出す、という場面がありました。ぼくは息子の役です。ぼくはその場面をどう演じようか迷いました。そこで、考えた方法は3つあります。①自分の母親のことを思い出しながら演じる。②母親役の人を考えながら演じる。③実際に存在した本当の母親を創造しながら演じる。 本番は③に近い形で演じることにしました。
 結果としては、①の方が良かったかもしれません。その場面で役を演じるときに、ぼくが悩んだのは、この人物は涙を流すだろうかということです。①で練習したとき、ぼくは涙を流しました。本番は③だったので、涙は流しませんでした。ただ、数回の公演のなかで1回だけ涙を流したときがあります。そのときのぼくは、①・②・③のどれでもありません。
 その本番で客席にいたのは、ほとんどが御年配の方でした。ぼくは思わず「ああ、今、見ている人たちの母親さんは、もうこの世にはいないのかもしれないなぁ。この場面を見て、自分のお母さんを思い出したりするんだろうか」と考えてしまったのです。…。ま、集中力がない証拠ですね。
 昨年の12月、見に行って来ました。ぼくは、N高校の作品しか見ていないんですが。あの作品がどれだけ高校演劇として認められるのかは分からないんだけど、楽しい作品でした。知り合いは、「皮肉が効きすぎてて笑えない」みたいなことを言ってましたが、確かにそんなところもありました。 コント や 押し付ける といった表現はやや誇張しすぎかな。あの作品は演劇から遠く放れているようで、実は凄く近かったと思います。
 ぼくたちは知らないうちに、約束事をして日々を過ごしています。たとえば、劇場に入ったとき、お客さんは客席に座ります。舞台に上がっていくお客さんはいません。これって、いつの間にか約束事をしているってことじゃないでしょうか。N高校の作品の一場面、語尾を上げると疑問文に聞こえるといったことも、1つの約束事をしている表れだと思います。
 〈演技をする〉とは、そんなふうに約束事があり、当たり前になっている行動を考え直してみることだと思います。いつもなら何も考えずにしていることを、ばらばらにして、もう一度、組み立てる。舞台での約束事を改めて見ている点でも、N高校の作品は演劇に近いなぁって感じました。


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