ミュージカル劇団『夢桜』団員ブログ&稽古内容の報告
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2月4日、ダンスの自主練を行いました。
主に「ニッポン登場」、「フラメンコ」を、そして「嵐」。 「ニッポン登場」私もわずかながら振付にかかわっており、四青年の特訓を任されている身ですが、なかなか難しいです。私自身が感覚でしていることを、改めて言葉にするというのは大変なことです。 瞬間瞬間のキメや、脱力、手の位置や動きのコースなどなど。美しく、力強く踊ることが求められます。それを改めて説明しようとすると……。 私自身慣れてないから、時間はかかるけど、頑張ろうねー。 さて、「嵐」ですけど、やっぱり難しいです。 割と激しい振りなのですが、それに振り回されてしまっては美しくない。その振りがもともと持っている力強さをうまく引き出せない。 いつも注意される手ですが、どうにもまだコントロールしきれていないようです。もっと理性的に踊らなきゃいけないんだよなぁ……。 まだまだ精進しなければ。時間がないけど、弱音をはいてる暇はもっとない。 本番まであと24日 PR
役者の仕事にゃ欠かせない、体力づくりと日々の訓練。感性磨きも欠かせない。舞台にゃ覚悟が欠かせない。
1月31日は歌稽古と振り稽古。おもに水夫の歌、日本、フラメンコのメンバーでした。2月1日は全員での振り稽古。大人数口、つまりはゴアをやりましたね。 振りですが、また新たに増えた曲もあり、時間がないながらも何とかしなければなりません。四青年、練習しようね。手伝うから。 さて。 とうとう一カ月を切りました。2月は短いのです。3月1日は2月29日です。 やっべー!! すみません。育ちが悪いもので……。 機器です。いや、危機です。危ういです。怖いです。早急に対応せねば。 芝居がいまだにスカスカです。心の動きなんて見えやしない。 振りがいまだにあやふやです。美しさなんて感じやしない。 歌がいまだにあいまいです。和音なんて聞こえてきやしない。 あー……怖い。みんな危機感を持っているのだろうか。 ブログなんてどのくらいの人が見てるかもわからないから、ここで書く意味があるのか疑問だけれども。 芝居、みんな心の声が少なすぎではないだろうか。 振り、みんな練習が足りなすぎではないだろうか。 歌、みんな音を取らなすぎではないだろうか。 今回は歌に関して書いてみましょう。 みんながわかっていないのは、歌は歌でなければならないということ。 音をはずしていいなんて誰も言っていないのに。「楽譜を離れて歌う」ことは大事だけど、「楽譜を無視して歌う」ことは間違い。 「楽譜を離れて歌う」 私の解釈では、楽譜に書いてある通りに音を出すのでなく、楽譜に書いてある言葉を自分の言葉として呑み込んで、楽譜に書いてある音の流れを自然なものとして自分から生み出すこと。 あくまでそのとき手がかりとなるのは楽譜、正しい音、ハーモニー。それが基準。それに頼らないと、音楽的な美しさや、そのシーンに求められる情感、そういったものが狂ってしまう。 はっきり言うと、ほとんどの人が勘違いしている。 もっと早く言わなければならなかったのかもしれない。 いまさらだけど、どうにかしなきゃ。時間はないけど、頑張るしかないなぁ。 と言いつつ、これは私がどうこうできることではない。一人ひとりが頑張らないと。 がんばろう、みんな。
また、新しい季節が巡ってきた。今回の作品に乗ってから、どれくらいの時間が経っただろうか。数か月の間、さまざまな問題に直面した。台詞が流れず、作品が進まないことがあった。作品に酔い、身体を満足に動かせないこともあった。それでも、御役目のために頑張ってきたのだ。
わたしたち、平成遣大劇団の御役目は「ふるさとを心から愛し、“ミュージカル”を通して、多くの人々に“古里”の良さを伝え、誇りの持てる古里作りに繋げていきます」である。…もうすぐ、その御役目を果たす機会が来るのだ。わたしは堂々と、大村市民との謁見の日を迎えたい。 しかし、皆と比べて、わたしはまだまだ勉強が足りないようだ。わたしたちはキャワジャリーノ様から、明日のための教えをいただく。わたしが学んだのは、2か3といったところだが、教えは40以上あるらしい。 わたしは伝えなければならない。これは数百年前に旅立った彼らの行いと等しいものだ。彼らは異国の地に、わたしたちの存在を伝えた。わたしは、彼らの存在を伝えなければならない。昭和少年使節団やポルトガル国際交流大村使節団の流れをくみ、今度は「夢桜」の表現で伝えなければ。
1月9日から12日まではO先生とK先生(12日のみ)を迎えての稽古でした。9~11日は主に振り関係を、12日には止め通しを行いました。
15日は1幕の止め通しを行い、また、ゴアのシーンについて振りの確認を行いました。さらに、昨日17日には水夫のダンス練習、本日18日には舞踏会のダンス練習が行われました。 何かと振り関係のことが多かった日々です。タイトルもその関係でつけました。 言うまでもないことですが、ダンスは非常に難しいです。振りを覚えるだけでも大変、それを曲に合わせて正しく踊ることも大変です。かといって、それができればいい、というわけでもありません。 特にミュージカルのダンスの場合、振りには何かしらの意味があります(他のダンスに無い、というわけではありませんが)。そして、シーンを作る上でのニュアンスや、人物の配置、関係性の構築などなど、いろいろなことを考えなければなりません。 何も考えずにただただ踊っているだけでは見えてこないものが、たくさんあります。 本当に気をつけて踊らないと、表現にたどり着きません。かといって、気にしすぎて小さくなってしまってはいけません。でも、細かいところに気をつけずにおおざっぱに踊ってはいけません。 本当に細かい指先の向きや、伸ばし具合、わずかなスピードの変化、そんな小さい違いが積み重なって、シーンのニュアンスを作り出していきます。 以前、O先生に「ダンスは100回踊ってから舞台に立て」と言われたことがありました。それほどまでにしっかりと体に叩き込み、正しい形を何も考えないでも踊られるようになって初めて、その先、芝居と密接にリンクしたダンスができるのだと思います。 その瞬間、その人物は何を考えてそうしているのか。意識は?目的は?意味は?感じていることは?見ているものは?聞こえるものは?…考えるべきことは本当にたくさんあります。 と言いつつ、実際には私もそれほどまでに踊りこめていません。学生時代とは違い、やはり時間が以前より限られています。 でも、言い訳はできない。したくない。「やる」と言った以上は、やり遂げなければなりません。100回でも200回でも踊ります。歌います。演じます。実際に体を動かし、声を出せなくても、イメージトレーニングならできるはずですから。 私は、負けません。たとえ最後の一人になろうとも。 「やってられないよ。」……この言葉は最後の最後にとっておこう。
12月17・18日の二日間で、ここまで稽古を行ってきたシーンの確認、詰めの稽古を行いました。通しという形ではなく、シーンごとに小返しや打ち合わせが中心でした。
私の出演するシーンはほとんどやっていないので、他のシーンの稽古に代役として参加したり、傍観していたりしました。 …ので、なにかコメントをと言われても、あまり言えることがなかったりします。すみません(苦笑 むしろ稽古の邪魔をしてしまったかもしれませんね。申し訳ないです。 傍観者としては…、まだまだシーンに空白があるなぁ、というのが感想です。個人の感情の動きであったり、台詞と台詞の間であったりするわけですが…。 結局のところ、まだ「動」ばかりで、「受」があまりできていないのではないでしょうか。台詞でいえば、話すばかりで聞けていないということになります。そのために、黙って立っているところが、本当に黙って「立って」いるだけになっているように思えます。 もっと、相手や同じシーンにいる人物の台詞を重視してみませんか。自分の台詞以上に重要なことがたくさんかかれていますから。 |
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